久しぶりに山歩きに出かけました・・・秋の一日を満喫しました [アマチュア無線]
以前よく出かけていた山歩きですが、ここ何年か全くいけていませんでした。
この三連休の真ん中の今日、思い切って久しぶりに以前の慣れ親しんだルートに再挑戦すべく出かけてきました。
当局(私)の住所は23区の西の外れ、大泉学園駅近辺です。
ここからの近場はなんと言っても飯能の先の山々となります。
先だってはNHKでも紹介されました。
私はというと、もう20年近く、たびたび出かけて、心を洗ってました。
本日は、まず西武池袋線高麗駅を出発地点として、多峯主山(とうのすやま)から天覧山(てんらんざん)、いったん山を下りて今度は高麗峠を越えて巾着田(きんちゃくだ)へ出た上で、もう一息頑張って高麗神社(こまじんじゃ)までのコースに挑戦しました。
アマチュア無線家として所々で電波も発射しました!二局、交信が成立しました。久しぶりかつ当局としては極めてまれなポータブル・ワン運用となりました。
目次
1. 高麗駅
2. 第一運用場所
3. 多峯主山
4. 天覧山
5. 高麗峠
6. 巾着田
7. 高麗神社
8. 追加
高麗と書いて「こま」と読みます。
今日訪れたいろんな場所、『高麗(こま)の里』は、以前の高麗郡に相当します。
高麗郡は遙か昔、「716年、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高句麗から渡来系移民1,799人を武蔵国の一部に移し、高麗郡を設置した」とWikipediaにあります。
ちなみに当局の住所である練馬区の東大泉もすぐ北は今の新座市、以前の新羅郡です。武蔵国の西部はこういった隣国朝鮮との古くからの関係の深い地域だと思うと、以来1300年の歴史が偲ばれるなと思います。
高麗駅を出ると目につくのが写真の建造物です。
詳細な説明は将軍標を参照いただければと思います。この駅と高麗神社にも同じものが建てられています。ハングルでの案内板が設置されるなど、隣国とのつながりを感じる場所です。
高麗駅は人気の巾着田や日和田山の玄関口であり、今日も20~30人くらいの人と一緒に西武線を降りました。
ちなみに西武線も飯能駅までは都心へ通う列車が走っていますが、それより向こうは列車4人掛けの2ドアの車両となります。風情ありますので、是非、乗ってみてください。高麗駅は飯能駅から二駅先です。
巾着田・日和田山が高麗駅の東側にある中、当局の目指す場所は反対側の西側となります。閑静な住宅街(高度経済成長期に造成が進んだのかなと思います)の中を通る通りを上っていって付き当たったところからが山道ですが、ここまで来るともう私一人となってしまいました。
山道は行ってすぐのところに少し開けたところがあって遠くがよく見えます。
東京方面は山の陰になっているかもしれませんが、ここをまずは無線の第一運用場所としてCQ出すべく準備をしました。
と、散歩をされていた方から声をかけられました。
このあたりに40年からお住まいとのことで私より先輩の方でした。オープンスペースではありますが、十分距離を離してしばらくいろいろ話させていただきました。高麗駅の西側の開発のことやお住まいの方のことなどを聞かせてもらいました。話はコロナに及び、今年の正月、お互い外に出ている子供に戻ってきてもらうのか、ということを話しました。私は帰ってきてほしいです。その方は「毎年10名くらいの親戚が来てわいわいやるんだが、今年はよそうと思っている」とおっしゃいました。仕方がないことではありますが・・・会えないことほど寂しいことはないと思います。
その方が去られてから、しばらくCQを出しました。1Wで送信していましたが、入間市から応答がありました。親切に、そこでなく多峯主山や日和田山へ行って運用した方が良い、とアドバイスもらいました。当局からすると、このハンディ機で1Wでとってもらえる局があったのがまずは喜びでした。
15分ほど運用しましたが、その後応答がなかったので腰を上げて先へ向かうことにしました。
高麗駅の側から多峯主山へ上るには、頂上近くの最後のところが難所となります。
回り込んで緩やかな坂を上るのが常識的ではありますが、今日は険しい岩場を選択して上っていきました。道が事実上ないので岩に捕まりながらですから結構危ないです。
頂上の方から何人か降りてこられていて、若い女性もいらっしゃいましたが、危ないと思います。私も素手は危ないので軍手を着用して岩にしがみつきながら頂上を目指しました。
頂上は・・・人でいっぱいでした!!!びっくりです。
人気が出る前の多峯主山にはこんなに人はいなかったと思います。
お子様連れの方が多かったです。
ここからの眺望は、素晴らしいです。日和田山にもひけをとらないと思います。
本当はここから無線を運用すれば成果が上がるのかなと強く思いましたが、「CQ CQ」にどれくらい理解があるのか・・と思うと躊躇しました。狭いところに人が多かったこともあり、変人に思われ手もどうかと思い、先へ進むこととしました。
山歩きでは、すれ違ったら「こんにちは」と挨拶します。
今日もたくさんの人と「こんにちは」と挨拶させてもらいました。
年配の方も多いですが、家族連れや若い方もたくさん出会いました。
山歩きで息が苦しいのでできればマスクは外していたいところ、このコロナの状況下、皆さんの対応はそれぞれでしたが、私はすれ違うときはできるだけマスクをつけるようにすることとしました。
前からあった、大きな・特徴的な木(写真上、わかり肉かもしれませんが、大きな一本の木です)の脇から天覧山へ登っていきます。
なかなか厳しい急斜面の階段を、先輩の女性が上がられている横を「失礼します」と行って追い抜くと「元気でやらないとね」といった言葉をいただきました。頂上へ着く直前の紅葉の様子を写真に撮りました。
天覧山の展望台は大変賑わっていました。
以前は、この展望台の一角にお茶屋さんが会って、ここまで来ると、後は下りなのでビールを飲んで寝転がって一休みして下山・・・というのがパターンでしたが、今はそのお茶屋さんもなくなり、寝転がるにはごった返していて、ちょっと変わってしまいました。
天覧山の眺めは抜群です。
今日も富士山が見えていました。
無線の運用にも良いかなと思いましたが、人が多いのでやっぱり遠慮しました。
天覧山のあとは普通は飯能駅に戻るのかと思いますが、通はここから高麗峠を超えて巾着田へ向かいます。
以前であればまず自分以外はいなかったのですが、今日はたくさんの方が同じ方向に向かわれていました。人気出ました。
途中にある「ほほえみの丘」という少し開けた場所の写真を載せときます。ここで半日も、空を見上げて、気の置けない家族や友人といろいろと思いつくことを話したらとってもいいだろうなと思いました。空も青く、季候も良く、何度もここを通ったことありますが、今日が最高だったのかなと思いました。
その先に高麗峠はあります。
多くの方は高麗峠からムーミンがいる宮沢湖の方へ回られたようで、高麗峠から巾着田へ向かう下り道は何年か前と同じくなんとなく雰囲気がある方以外とは出会いませんでした。
下り坂が終わると山道は終わりです。
そうすると道は巾着田に出てきます。
高麗川が「ひ」の時に屈曲しているこの場所が「巾着田」と言われる場所です。
巾着のような形なので名付けられたと思います。
9月に彼岸花が咲く季節がここのハイライトです。
また流れている高麗川の河原もアウトドア活動がとっても盛んなところで、河原でバーベキューがここのポイントと思います。とても自然に親しめるいいところです。
そして巾着田の中は畑であったり、広場で会ったり、牧場で会ったり、とても開放感が満喫できるところです。
子供が小さいときに何度もここに来て、畑の中を歩いたり、キャッチボールをしたりしたのを思い出しました。
周りは素敵な紅葉で、すぐ近くには日和田山も見え、なんて言うのでしょうか、心洗われる、というのはこういうことなのかと思いました。
日和田山に反射して、意外に電波の通りが良さそうなので、とっても手入れが行き届いていて、それでいて誰もいない運動場のベンチから「CQ」出してみました。そうしたら、茨城県は石岡市の移動局から応答をもらいました。筑波山あたらいかでした・・・びっくりです。
高麗駅から巾着田まで上がって下がって、8キロくらいありました。時間も3時間近く結局はかかりました。
でも、今日はそこで終わりでなく、少し離れた高麗神社まで行くことにしました。
高句麗から逃れてこられた高麗王が代々主宰されてきたこの神社は開運の御利益高いと言われており、私も過去何度もここに足を運んで、ご祈願させていただきました。
異国情緒ただようこの神社ですが、車で行くなら何でもないところですから是非一度足をお運びください。いろんな発見があると思います。
今日は七五三の方でいっぱいでした。
そんな中に混じって、みんなの開運をお願いしてきました。
高麗神社なのですが、「高(句)麗神社」と額が掲げられています。
高麗神社の後は八高線の高麗川駅にでて帰路につくのがいいのかなと思います。
高麗駅から高麗川駅までは全部で4時間くらいかなと思います。
ただ、当局は今日はもう少し脚を伸ばそうと思って、そこから北へ八高線沿いに越生駅まで行って見ました。
高麗川から先の八高線はまた、風情があるところです。もっとも、今日は八高線の汽車が来ないので、越生からは東武越生線で坂戸へでて、そこから東上線経由練馬の自宅へ戻らさせていただきました。
歩きごたえのある一日となりました。
少なからず疲れましたが、何年かぶりに125%秋を満喫させてもらいました。
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