【無線話題ではありません】地上高634メーターハイ・・・東京下町の師走風景 [雑記]
2020年12月13日(日)
写真は隅田公園から見た東京スカイツリーです。
アマチュア無線家からみると地上高は634メーターの憧れの電波塔です。
アマチュア無線と異なり、「飛ばさなくてはならない」使命を帯びている点で、設計やメンテナンスに関わった方・携わっておられる方の苦労が思いやられますが、改めて近くで見るとその威容に感動します。
今日は穏やかに晴れた東京でしたが、長年行こう行こうと思っていけなかった下町の神社仏閣そのほかかねて気になっていた場所を巡ってきました。
観光地はコロナで出足が止まっているかなと思いましたが、思いのほか、賑わっていた感じがしました。
1. 柴又帝釈天
東京へ来て40年、名前は何度も聞いているものの一度も行ったことのなかった柴又帝釈天へ今日は妻と出かけてきました。
柴又の駅から参道に入るとあっと驚きでしたが、たくさんの人が来ていました。インバウンドはないわけですから、これが賑わっていたときと言えば参道にぎっしりだったんだろうなと思いました。お堂へ上がれるので靴を脱いで上がって、今日・明日が良い日でありますようにとお祈りさせていただくことをお願いしてきました。
お昼時だったので、贅沢ですが川千屋(かわちや)さんで鰻をいただかせていただきました。
妻とはここで分かれて、私の方は徒歩で浅草寺へ向かうことにしました。
2. 旧綾瀬川/隅田水門
東京の河川に興味のない方は読み飛ばしていただいたほう方が良いかなと思います。
ただ、私のような東京の河川が好きな人にとっては、荒川の放水路から隅田川に向かって切れ込んでいるこの数百メートルの旧綾瀬川/隅田水門はなんとも興味が尽きない場所です。ご関心のある方は是非鈴木理生著『江戸の川・東京の川』をご一読いただけたらと思います。
柴又の方から来たので、堀切橋を東から西に歩いて渡りました。東京に来て半世紀近くになりましたが、初めて荒川を歩いて渡りました。河川敷では野球をやっています。いいですね。一方で河川敷の道路は自転車が走っています。最近の自転車、静かになった上にスピードが出るようになりました。どことなくタイミングが合わず、なんとなく危ない気持ちがすることがあります。年をとったと言うことなんでしょうか。
3. 石浜神社/今戸神社
隅田川を白鬚橋で渡ると右に石浜神社が見えます。
西暦724年の創建、「奥州征討の折、源頼朝が戦勝を祈願し、また元寇の際に、朝廷は鎌倉幕府7代将軍惟康親王を勅使として戦勝を祈願させた」とウィキペディアにある由緒正しい神社です。紅葉がとても美しく、整然とした境内がとてもきれいです。
さらに川沿いに下っていくと今度は今戸神社があります。今戸神社へもお参りさせていただきました。一帯は、江戸時代から明治にかけては今戸焼が盛んだったと聞いていますが、今はどうなのでしょうか、自分の脚では今戸焼の今を今日見つけることはできませんでした。
4. 待乳山聖天
待乳山は「真土山」、隅田川が削り残した小高いところにある、と鈴木氏の本に書かれていたこのお寺にとうとう行けました。ウィキペディアには「この寺は隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあるが、この丘は595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる」という大変由緒正しい、お寺となります。
階段を上がってお参りさせていただきました。
5. 浅草寺
賑わっていました。インバウンドの方々はいらっしゃらないので、日本からの人で賑わっていました。混雑しているとまではいえないと思いますが、私が東京へ出てきた頃の浅草寺の賑わいくらいはあったのかなと思いました。
お祈りさせていただくのに、ソーシャルディスタンスとなっていて、お正月は入場制限するしかないように思います。ないしは今日でこれくらい混んでいるなら、あえて閉じるのもアイデアかもしれません。それにしても久しぶりに来ました。
以前は足立に住んでいたことがあり、その頃(学生の頃)は時々平日の浅草寺に来たりしていました。今から思うとその頃と言えば世の中いろんなことがスローで、浅草寺の境内で、がまの油を売っていたのを思い出します。実に巧みな口上で、思わずご婦人ががまの油を購入されるのが当然のように思えたものでした。
その浅草寺も、思いがけず若い人がたくさんいて、しかも、貸し出しなんでしょうか着物を着て参拝されている方もたくさんいて、それはそれでいいなと思います。とても華やいだ空間でした。
仲見世のおせんべいやさんで何十年も食べているおせんべいを買いたかったのですが、不思議なことにそのお店だけひとがならんでいて、今日は諦めました。「亀屋」さんと言います。次、でも、いつ来るかは私もわかりません。
6. 入谷鬼子母神
最後の訪問地は入谷の鬼子母神です。
恐れ入谷の鬼子母神と広く知られているこの鬼子母神ですが、教わってはいましたが、小ぶりな境内で、日が暮れたこともありましたが、参拝しているのは私以外はいませんでした。
鬼子母神は安産、子育ての仏様です。私はもう終わったようなものですが、これからの子育てに携わられる方に幸せがたくさんありますようにお祈りさせていた抱きました。
師走も半ばではありましたが、日差しの下をある区分には少しも寒くなく、厚手の格好も不要な一日でした。
武蔵野の台地の上、高麗・新羅の里に暮らす当局としては江戸の風情を今に伝える下町は興味をそそる憧れの場所でもあります。今度はついででなく、おせんべいを買いに仲見世まで出かけてみようかと思いました。
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